旧マイカル本牧

 

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1982年、西端ニチイ社長の死去に伴い副社長の小林敏峯氏がニチイの社長に就任する。小林氏は西端氏ほか2名(福田氏、岡本氏)とともに4社合併で誕生したニチイの創設メンバーであり、4人の中で最年少であった。小林氏が社長に就任した1982年は大店法規制が強化され、大手スーパーの出店が困難な情勢となっていた。こういった情勢の中スーパー業界売り上げ5位のニチイは合併で規模を拡大を画策、西端時代からの悲願である6位のユニーとの合併を進めていく。しかしニチイ社員の収賄事件を発端として両社に溝が入り僅か3か月で破談という結末を迎えてしまった。ユニーとの合併白紙化という挫折を経て小林氏とニチイは脱スーパー路線・時間消費路線を進んでいくこととなる。

一方で横浜市は1982年に米軍から返還された基地住宅跡の区画整理事業「新本牧まちづくりを開始」。約27万坪に広がる広大な区画の再開発事業である。1984年にその核となるセンター地区1万坪のディベロッパーに選ばれたのがニチイだった。

この直後、ニチイはグループ名をマイカルと変える。マイカルと小林氏がその理想を初めて形にしたのがここ本牧であった。

1981年開業のららぽーと船橋ショッピングセンター(現ららぽーとTOKYO-BAY)に端を発した超大型ショッピングセンターは大店法の規制の中で、セゾンのつかしんやジャスコのノアのようなモノだけではなくコト消費にも重点を置いた「街」づくりへと変化していく。

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ららぽーとTOKYO-BAY

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ノア

こういった状況下でのマイカルグループにとって初めての「街づくり」が新本牧開発であったわけである。

こうして1989年に開業した当地はグループ名を冠してマイカ本牧と名付けられた。初のマイカルタウンである。


イカ本牧スペイン植民地様式風(なぜスペイン本国じゃない……?)のデザインで統一された複数の建物から構成されておりそのほとんどが屋外連絡通路で繋がれていた。

開業初年度には1500万人もの人がマイカ本牧を訪れ、翌年も1600万人もの来街者を誇る一大名所となっていた。

 

 

前置きが長くなりすぎましたが以下旧マイカ本牧のレポートです(画像多し)

 

※マイカ本牧はマイカル独立時代でも数度の改装が行われており、以下の文はそのあたりがごっちゃになってます。

 


〇1番街 生活百貨店 SATY

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コンセプト「ファミリーで訪れる都市生活者のための街」
現在はイオン本牧店。元本牧サティ。サティとしては5店目の開業でサティ業態が確立される前の所謂「青サティ」だった。改装はされているが随所に後年のサティでは見ることのできない意匠が使用されている。

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他の元サティ店舗では見ることのできない意匠。Y型の取っ手は後年のサティ店舗で多く用いられているもののプロトタイプ?

開業当初は1階にジェスマックが開発・運営するフィッシャーマンズワーフ(大型水槽があり、活魚も扱う魚の総合ショップ)、5階にファンタジーフォレスト(子供向け商品の売り場)があった模様。

現在はありがちな元サティのイオンでベスト電器も入居している。

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フロアガイド

1996年に大改装されたようで店内のサイン類は90年代後半に開業・転換したサティと同様のピンク仕様となっている。控えめな吹き抜きがある。

 

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ピンク基調のサイン類

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小さいながらニチイ感ある?吹き抜け

また、マイカ本牧といえばここ!シンボル的存在である2階デッキのイスパニア広場にある噴水は今も健在。これってイオンが管理してるんでしょうか?

 

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イスパニア広場。噴水が今も生きている!

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イオンから見たイスパニア広場



店舗外周には噴水の跡と思わしきものが大量に。
イカルとしても流石に本牧は金をかけすぎたと思ったらしく、これ以降の店舗はある程度投資回収が早くできるように建設費を抑え低コストになっている…らしい。本当ですか?

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噴水や川の跡?

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イスパニア広場と店舗の間にある謎の空間。当時の写真を見る限りエスカレータがあったっぽい?

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〇2番街  高感度専門店 VIVRE

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コンセプト「アメニティな住空間を提案する街」

当初は本牧サティの別棟扱い(サティ2番街)でインテリア・生活用品さらには住宅設計・施工などの住居に関するものを扱っていたらしい。 また4階のアンテナパビリオンなるモデルルームはジャパンメンテナンスが運営していた模様。

1993年にはマイカルエンジニアリングと生活文化研究所が主体となって開発・運営した高級家具などのインポート品を格安で販売する本牧パワーマーケットが4階に開業している。その後全館が本牧ビブレとなり、さらに後年はサティの子供向け売り場になっていた模様。

現在は解体されマンションが建っているがデッキは2番街時代のものが今も使われている。

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現在も残る2番街へのデッキ




〇3番街 カルチャーセンター&コミュニティサービス

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コンセプト「地域の方たちのためのコミュニティサービスの街」

駐車場棟だが1階には郵便局やイオンバイク、2階にはカルチャースクールなどが入居している。塔の中にはサンティアゴの鐘が収まってるらしい。

 

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カルチャースクールや郵便局は今も残る

ここにも噴水の跡がある。マリアの池だったらしい。よくわからない

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マリアの池…の跡

1番街との連絡通路が素晴らしい。発狂した。

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連絡通路。発狂

あまり改装もされておらず、3番街が何気に一番マイカル感が残っているかもしれないと感じた。

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5番街  エンターテイメント&インターナショナルマーケット

 

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コンセプト「国際感覚にあふれるエキサイティングな街」

イカ本牧最大の建物でかつてはビブレ事業部運営のインポートブランドショップ「ネビュラ」、ニューヨークの劇場と提携した多目的ホールアポロシアター」、ライブハウス、ピープル運営で屋外プールも備えたスポーツクラブ「ウォーター・シティ・アクラ(AQULA)」、大型ゲームセンターのダイナレックス、レストランなどの時間消費施設が大量に入居していたが2005年にマイカルの手を離れている。現在はベイタウン本牧5番街として営業中。

入口周りから、吹き抜け、階段と非常に豪華な装飾が残る。マイカルと小林敏峯夢の跡がこの地なのかもしれない。

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豪華な内装。発狂

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現在1階にはHACドラッグが入居している。回りまわってイオン資本…



5番街の見どころかもしれない謎の路地裏のような空間。何なんだこれは…

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商業施設の中に路地裏…狂気…

4階はペットショップになっている。ドッグランや水槽もあるのである意味時間消費施設?

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エスカレータから見えるドッグラン

5~6階にはエグザス・フライツァイトなどで構成された前述のAQULAがあった模様。現在もスポーツクラブ(ネクシス)として営業中。


2005年にマイカルから売却された5番街は売却先の破産など紆余曲折があり5年ほど廃墟状態だったとか。現在はベイタウン本牧5番街として地域に密着した営業を行っている印象。

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〇6番街 アミューズメントタウン

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開業時は1階に外車のショールームハンバーガショップ、それ以外は駐車場だったが96~97年に改装されフードコートやパチンコ・シネマコンプレックスなどが入居するアミューズメント棟となった。
パチンコ屋は今に至るまで元マイカルグループのエスタディオが入居している。

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シネコンワーナーマイカルではなく松竹とマイカルの合弁会社であるマイカル松竹の運営するマイカル松竹シネマズ本牧であった。なんでワーナーじゃなかったんでしょ…。同館は2005年にMOVIX本牧となるが2011年に閉館。現在映画館部は廃墟化している。
一応現在も前述のエスタディオマクドナルド、ヨガスタジオ、フィットネスクラブが入居している模様。

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随所に残る映画館感…映画館の廃墟はどこも物悲しい

〇7番街 ホテル ル・ファール本牧

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1992年11月に開業した全69室のシティホテル。マイカルグループは同年7月にリゾナー小淵沢を開業させておりそれに続くホテル事業となった。

ちなみに「ファール」はフランス語で灯台の意味。なんでフランス語?

当初は株式会社ホテル ル・ファールによって運営、同社は1998年にマイカルマリン、アールイーエスと合併しアメニティタンクとなっている。
イカル破綻後にグループ外に売却されたようだが2003年に閉鎖、解体されマンションとなった。
ここにホテルは厳しそう…と感じてしまうが計画段階から「ディズニーランドは高い入場料を取っているのに多くに人が訪れている上に、物販収入が総売上の40%を占めている。ニチイもオリエンタルランドも同じ物販業」と同ランドを意識した発言があったことから、宿泊施設の建設は必然だったのかもしれない。

少なくとも様々な書籍を読む限りマイカ本牧に滞在する人向けのホテルだった模様。うーん…

 

〇8番街跡 ファーストフード&パーキング

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イカ本牧に複数あった1階店舗&駐車場の一つで8番街にはミスタードーナツが営業していた模様。
現在は解体され跡地にはマンションが建っている。

 

〇10番街 ファーストフード&パーキング

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9番街は欠番。ここも1階店舗&駐車場。
開業時はピザ屋、後にサブウェイが入っていた模様。
現在旧マイカ本牧の建物で唯一上部に番街表示が残っている。

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番街表示が残る

〇11番街 クリニック、ドラッグ、日本料理

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妙に他の建物と離れている。
1階の飛び出た部分(1枚目右下)にはかつてマイカルグループのレストランを運営していたコムスの運営する割烹・活魚料理の百人一朱が入居していた。百人一朱としては、赤坂に次ぐ2店舗目だった模様。ちなみにコムスはカロスとともに1993年、新しく設立されたマイカルイストへ店舗譲渡されている。

 

〇12番街跡

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ここも駐車場&1階店舗(釣具屋)だったらしい。
現在は例によってマンション。マイカ本牧が衰退するにつれマンションが増えていくのは物悲しい…。
1階にはミニストップが入居しているのが運命の悪戯を感じる。

 

〇ASTY館跡・グロブナースクエア

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6番街と11番街の間のブロックに位置する。
かつて日本初のディズニーストアがあったというASTY館は解体されマンションに。こんな場所にディズニーストアがあったとは…。
凝ったデザインのグロブナースクエアは今も現存。正直このエリアはマイカ本牧感がかなり薄い…。

12番街とASTY館・グロブナースクエアは手元の資料何れにも紹介されておらず正直よくわからない。日経でも見ればわかりますかね…

 

市道本牧第25号線

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どう見てもマイカ本牧の連絡通路だが公道上に架橋するために市道となったらしい。(マイカルが建設後市に譲渡)
公道上を民間の空中通路が跨ぐ例など無数にある気がするが当時は制約が大きく(跨ぐ道路の幅など)このような形になったらしい。

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おわりに

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イカ本牧の成功?後もマイカルグループは拡大を続け桑名、明石、そして総投資額が600億円を超えるという小樽など次々とマイカルタウンを建設していく。

イカル小樽の完成を見届けるかのように1999年に小林氏は死去。この前後からマイカルの経営不振が露になってくる。多額の有利子負債と売り上げ不振は財政を圧迫。ついに2001年にマイカルは破綻した。その後はイオンの傘下にて再建を進め、2011年にイオンリテールに吸収されたことで法人格およびサティ業態は消滅した。

 

かつて9つの建物で構成されたマイカ本牧も現在残る建物は5つのみで、そのうち1番街と3番街以外はマイカル→イオンの手を離れている。

 

肥大化、暴走の先に消滅してしまったマイカル。本牧の地は彼らを見守りながら何を思っていたのだろうか。そんなことを考えさせるマイカ本牧跡訪問だった。

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以下参考文献記述予定