自分語り①

ブログを書くのはめんどくさい。

商業施設にしろ他のものにしろいちいち資料を引っ張り出さなければならないからなんですよね。訪問記を書かれている方始め各位ただただ尊敬。頭をただただ垂れております。

 

ただ、自分語りならば別にそういった煩雑さもないので平仮名あいびすで時々呟いている高専と大学時代について徒然と書いてみる。将来の進路について迷っている中学生・高専生やお子さんの進路について調べている親御さんにはある程度参考になる話かもしれないですしそうでもないかもしれないです。

※別に役立たないし10年以上前の話なので今は大きく違うであろうことを留意してください。

 

 

〇有史以前

小6の冬休みに1人で静岡の祖母宅へ行く。4泊中3泊は車中泊はまなす、静岡、あけぼの、はまなす)という今では世間で許してくれなさそうなおでかけでしたが割と両親含め周りの理解があった気がします。

おでかけオタクの片鱗を見せ始めたこのころ、自分の人生を変えたのが中学1年生次最終テスト。当時521系&単色化で北陸の旧車(419系とか475系)が危機に瀕していたので北陸へ行きたいと親に相談。そこで親父はあろうことか学年20位以内に入らなければ行かせないという理不尽な条件を出してきたのであった。親としては無理難題を吹っかけて行かせたくなかったらしいが、腹が立った私は猛勉強(ただし毎日9時就寝)。結果学15位を取り無事北陸旅行へ旅立ったのであった。

それ以降親は旅行に対する制限を課さなくなり(資金は自営業手伝いで貰ってた駄賃)おでかけの道を加速していくことになる。

高専入学前夜

今となってはなぜ高専に入学したのか全く覚えていない。無料でバスに乗れてカツカレーを食めるオープンキャンパスに行ってしまったのが悪いのだがそもそもどの時点で高専という進路を認識したのか。おそらくひねくれ者の親父が地元の高校には行かすまいと誘導したものと思われる。

高専受験は公立高校より早い2月下旬に行われる。当然私は受験直前の冬休みに旅行へ行き、定期廃止直前の急行きたぐにに乗り3段寝台の狭い中段を満喫したのである。

学割証を発行するのにかなり煩雑(田舎の中学校は学割証を発行する機会が少ない)な手続きを要したが全面的に担任の国語教師がバックアップしてくれたことをよく覚えている。

かなり奮発して乗った三段式B寝台の中段。新潟→大阪の全区間に乗車。



高専入試

高専には推薦入試と学力入試があり、前者は面接のみ、後者は学力テストのみといった内容となる。自分の場合は推薦の要件は達していたが、わざわざ釧路まで行くのが(交通費が)勿体ないという理由で学力にした。学力は隣町の北見でも受けられたのである。

高専の入試は国数理社英の5教科。500点満点だが釧路高専の場合数学と英語の点数が倍になる700点満点だったと記憶している。これは高専によって違ったはず。

ちなみに自分の得意教科は社会と国語。数学は大の苦手で英語は憎んでいる。*1よく高専に挑んだものと思う。

 

〇入試対策

高専の入試問題は全国共通であり、その過去問がインターネットで公開されている。自分はわざわざ高い5年分の過去問集を購入したがインターネットで十分な気もする。塾によっては高専受験向けの指導をしているところもあるのかもしれないが、そこまで公立高校と内容が違った記憶はないので家庭学習で十分だと思う。塾に行くより旅行したり川に石を積み上げてダムを造った方が有意義ですよきっと*2

勉強はそれなりにした気もするし勉強したふりをしながら親に隠れて印刷したWikipediaの記事をひたすら読んでいたような気もする。ただし当時の釧路高専は定員割れだった*3のでまあ普通に受けて普通に受かった。自己採点で社会科はほぼ満点。ただし数学と英語は壊滅的であったと記憶している。皆さんも苦手を克服するより好きに伸ばしましょう*4

結果は1週間後には出るので、他のクラスメイトがピリピリしている中悠々と春休みのお出かけ予定を考えることができたのが快感だった。*5

〇入学説明会

今の釧路高専は違うらしいが、自分のころは入学説明会と公立高校の入試日が重なっており、高専を滑り止めとして利用することができなかった。自分の周りにも受験の練習として釧路高専を受け合格した人はいたが、結局公立高校を選びキラキラライフを送っている*6

そんなこんなで中学校を卒業。図書委員の時に図書室の鍵を隠されたり、顔面殴られて歯を折損したりと非常に充実した生活だったとされる。

春休みは引退直前の飯田線119系や震災から1年経過した石巻を見る回などを行いいよいよ充実した高専ライフの始まりである。

続きはまた書く。反響があればちゃんと書くし、なくてもそれなりに書きます。

こうやって書くと色々覚えていますね。

 

*1:このあたりは高専入試から13年経過した今も変わっていない

*2:ただしそうして生まれたのが拙宅であることを十分留意しなければならない

*3:一応自分が志望していた機械工学科は1.03倍

*4:ただしそうして生まれたのが拙宅であることを十分留意しなければならない

*5:公立高校受験を控えているはずの友人と真冬の川で遊んでもいた

*6:いまでもついったーで連絡は取り合っている