自分語り①

ブログを書くのはめんどくさい。

商業施設にしろ他のものにしろいちいち資料を引っ張り出さなければならないからなんですよね。訪問記を書かれている方始め各位ただただ尊敬。頭をただただ垂れております。

 

ただ、自分語りならば別にそういった煩雑さもないので平仮名あいびすで時々呟いている高専と大学時代について徒然と書いてみる。将来の進路について迷っている中学生・高専生やお子さんの進路について調べている親御さんにはある程度参考になる話かもしれないですしそうでもないかもしれないです。

※別に役立たないし10年以上前の話なので今は大きく違うであろうことを留意してください。

 

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旧マイカル本牧

 

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1982年、西端ニチイ社長の死去に伴い副社長の小林敏峯氏がニチイの社長に就任する。小林氏は西端氏ほか2名(福田氏、岡本氏)とともに4社合併で誕生したニチイの創設メンバーであり、4人の中で最年少であった。小林氏が社長に就任した1982年は大店法規制が強化され、大手スーパーの出店が困難な情勢となっていた。こういった情勢の中スーパー業界売り上げ5位のニチイは合併で規模を拡大を画策、西端時代からの悲願である6位のユニーとの合併を進めていく。しかしニチイ社員の収賄事件を発端として両社に溝が入り僅か3か月で破談という結末を迎えてしまった。ユニーとの合併白紙化という挫折を経て小林氏とニチイは脱スーパー路線・時間消費路線を進んでいくこととなる。

一方で横浜市は1982年に米軍から返還された基地住宅跡の区画整理事業「新本牧まちづくりを開始」。約27万坪に広がる広大な区画の再開発事業である。1984年にその核となるセンター地区1万坪のディベロッパーに選ばれたのがニチイだった。

この直後、ニチイはグループ名をマイカルと変える。マイカルと小林氏がその理想を初めて形にしたのがここ本牧であった。

1981年開業のららぽーと船橋ショッピングセンター(現ららぽーとTOKYO-BAY)に端を発した超大型ショッピングセンターは大店法の規制の中で、セゾンのつかしんやジャスコのノアのようなモノだけではなくコト消費にも重点を置いた「街」づくりへと変化していく。

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ららぽーとTOKYO-BAY

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ノア

こういった状況下でのマイカルグループにとって初めての「街づくり」が新本牧開発であったわけである。

こうして1989年に開業した当地はグループ名を冠してマイカ本牧と名付けられた。初のマイカルタウンである。


イカ本牧スペイン植民地様式風(なぜスペイン本国じゃない……?)のデザインで統一された複数の建物から構成されておりそのほとんどが屋外連絡通路で繋がれていた。

開業初年度には1500万人もの人がマイカ本牧を訪れ、翌年も1600万人もの来街者を誇る一大名所となっていた。

 

 

前置きが長くなりすぎましたが以下旧マイカ本牧のレポートです(画像多し)

 

※マイカ本牧はマイカル独立時代でも数度の改装が行われており、以下の文はそのあたりがごっちゃになってます。

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西武渋谷店

1968年、東急グループのお膝元であった渋谷に殴り込む形での出店。後にこの地でセゾン文化・渋谷文化が花開く訳だがその足掛かりとなった店舗である。

現在はA館、B館、ロフト館、無印良品の入居するMovida館で構成されている。

築54年を経過した建物は大変美しいが、少しくたびれ気味・・・?

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西武渋谷店A館・B館
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